
photo credit: BJHokanson
この前、オリックスの清原が日ハムのマイケル中村の変化球攻めに苦言を呈していました。
「点差の開いたゲームの9回に、引退していくオレみたいな奴に対してストレートで真っ向勝負しないのは・・・」というのが清原の論点。
「常識」とか「社会」とかってのは、個人個人の考えとその結びつき方で成立しているのだから、清原がなにをいっても・・・「尊敬」する必要はないけど、「尊重」してあげる・・・「尊重」しつつ無視してあげる・・・のがいいんじゃないかなってボクは思います。
もちろん、「尊重」もくそもなく、「常識」の名の元に、清原のそういう物言いに対して文句たれるのも、それは自由。
そんな意見も「尊重」しつつ無視してあげようとボクは思うわけです。
ただ、ボクが気になるのは・・・『「常識」の名の元に』なんでも言ってくる人たちのこと。
そりゃテメーの常識にすぎないってことを忘れんな、とツッコミたくなります。
もちろん、「常識」や「社会」ってもんが「なんとなくどこかにある」と思ってやっていくことが合理的なのはボクにもわかっているわけですが、過剰にそれにのっかるのは、おもしろくもなんともない。
そうやりたいなら、それでいいけど、ボクに必要以上に近寄らないでほしいなと。
昨今、テレビのワイドショーとかニュース番組で大の大人が「常識では・・・」とか平気で言っているのを多く聞きますね。
日常生活でも、そういう輩はいっぱいいて、変に回りくどく・・・波風を立てないような工夫をしているつもりなんだろうけど・・・そいつにとってのモノに過ぎない「常識」や「社会」を押し付けてきたりするわけです。
ただ、そういう「幻想にのっかる」のが通用する範囲ってのもありますね。
ボクが仕事にしているコンピュータ関係の事は、基礎技術研究・開発に携わっていない以上、積み木遊びみたいなもんだから、「こうやっとけ」という「常識」に乗っかるのはうまいやり方なわけです(もちろん「なにをやるか」はそれでは解決しない。あくまで手段に関することの話ね)。
そんな「通用する」範囲で「自分はうまくいってる。勝ち組さ」なんて意識でいる人は、大抵「通用しない」ところでも「常識」や「社会」を振りかざしてきてとっても面倒くさい・・・(あ、「その典型がオタクだ」なんて言ってません・・・よw)
ま、そういう人にとってみれば・・・「どこまでを常識でやってて、どこからが縛られずにやっているのか」がわからないボクみたいな人間こそ「面倒くさい奴」なのかもしれないのですが(w
P.S. やっぱり・・・アラーキーの写真を観て感動して、マイルスの演奏を聞きながらドゥルーズの本を読み、広隆寺の弥勒菩薩を鑑賞して、若い子と焼肉食って、帰ってきてテレビつけたら「常識では考えられない」とか言ってるオッサンの番組をみたりすると、こういうことを吐き出したくなるわけです。あー・・・・スミマセン。
