Posted by netazo on 2008 年 8 月 4 日 – 11:23 PM

photo credit: nicolasnova
「Levelhead code released under GPL」
「コンピュータに関する解釈への挑戦」では、インターフェースがとっぱらった「境界」を元に戻されたという感覚の話を書きましたが、今回はその逆で、「境界」がとっぱわれる感覚の話です。
Levelheadというゲーム。
小さな立方体がLevelheadの世界。
立方体の各面には小さな部屋が映し出される(入り口・出口・階段などがある)。
立方体を動かすと、それにあわせてこの部屋にいるひとりのキャラクターが動く。
部屋には次の部屋への入り口があって、それを通していくことでキャラクターを「出口」に導く・・・
そんな感じ。
YouTubeにLevelheadのデモビデオがあります。
どうです?
これ操作しているのが自分だったら・・・かなりこの立方体の中に入り込んだ感覚に襲われると思います。
これを作ったニュージーランド出身でマドリードを拠点に活動しているJulian Oliver。
なんとLevelheadのソースコードをGPLでオープンソースにしたとのこと。
彼の活動にも興味深々です。
Posted by netazo on 2008 年 8 月 4 日 – 11:04 PM

photo credit: rickz
「Wash your clothes with the dirt blocking power of Windows OS」
(ここに大きい写真あり)
台にとりつけられたコンピュータ(相当な年代もの)。
台の頂点を中心に360°回転します。
モニターには一つのダイアログボックスと、多くのボタン。
コンピュータが回転するにつれ、これらが重力の方向にあわせて移動します。
これ、あなたならどう捉えますか?
コンピュータのインターフェース(ハードもソフトも)は、機械と人間の間に明確にあった「境界」をとっぱらいました(完全にではないけど)。
ボクはこれを見て、その「境界」を元に戻されたようなそんな感覚をおぼえました。
「モノはモノにすぎない」
「コンピュータはモノ(ツール)だ」
「使うのはアンタ(人間)」
そんな感じ。
コンピュータやゲーム機が、生まれたときから家にあって自由にそれを謳歌している年代の人はこれをどう思うのだろう?
とても気になります。