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インターネットの中の文化

2 月 3rd, 2009

Rainbow glass
Creative Commons License photo credit: ganap0627

昨日は、Super Sundayでした。
アメリカンフットボールが大好きなボクは、もちろん生中継をNHKで観戦。
Super Bowlって、昔は一方的な試合が多かったので「お祭り」色がとても強かったのですが、ここ近年は接戦になることも多かったりします(スーパースターがいないからっていう解釈もできる)。
昨日の第43回SuperBowlもなかなかの好ゲーム。
ハーフタイムショーのブルース・スプリングすティーンのライブが滑稽に見えてしまうほどでした(w

とある、アメリカ在住のフットボールファンと、ネットを通じて交流があります。
そいつと「Super Bowlは、Twitter上でお互いの国の言葉で実況しよう」と、アメリカ以外では認知度の低いフットボール啓蒙活動を起こす約束をしたのです(彼はイタリア系なのでイタリア語でやった)。

彼によると、ヨーロッパ方面のファンにも呼びかけて、各国語実況が行われた模様(w
そもそもヨーロッパは、NFLの2軍リーグ「NFLヨーロッパ」がシーズンオフに開催されてて、実は根強いファンが結構いたりするのです。

そんなわけで、Twitter上で「実況」を実施。
ま、素人なんでエンターテイメント性を十分に出すことなんてできなくて・・・ただただ「あかん!」とか「いえーい」とかになってしまうわけですが・・・(汗

Twitterは、アカウントをもっている人同士が自分の意志で他のユーザーを「follow」・・・つまり他のユーザーの短い文章のコメントを見ることを決定するしくみ。
実際に知らない相手でもブログとか、そういうネット上の活動を見てfollowするかどうか決めるわけですね。
(ほとんど、無条件に誰でも彼でもfollowしている・・・そういうパターンがほとんどだと思うけど)

そんな緩いつながりの中でアマチュア実況をしてたので、ボクをfollowしている人の中には「ウザッたい」と感じている人もいたはず。
実際、とあるユーザーに「うざい、やめて」とダイレクトメッセージをいただきました。

もちろん、ボクはそんなこと言われる筋合いはないと考えるので、同胞と約束したNFL啓蒙活動を続けていたのですが、やっぱり「マナーが・・・」と続けて言われたのです。

ま、いいんです。
ウザいと思う人がいれば、それは「すんませんねー」と謝ればいいんで。
実際、ウザかったから言ってるんだろうし、言うこと自体も自由なので「わざわざ言ってくんな」とは思いません。

しかし、ボクとしてはそういう意見を言うという行為が何を生んだり、何を生まなかったりするのかは少し考えてみたいと思うわけですね。

ほぼ日刊イトイ新聞で、イトイさんがタモリとの対談で・・・

ネット以後、 自主的な「五人組化」みたいなものがすすんで 「タモリが、あそこでションベンしていたぞ!」 みたいに、告げ口をしあっては、 常識の強要みたいなことがおこなわれているのは、 ちょっと、キツイですねぇ。

と言ってたのを思い出します。
「常識」ってーと、ちょっと一般的すぎる言葉かもしれないけど・・・これを流行りの「空気」って言葉に置き換えるとけっこうぴったり来る気がしますね。
「空気読め」は、言うのは自由だけど、使う人はそこに潜むものを考えて言ってるのかとボクはいっつも思います。

「インターネットは自由だ」的な考えは広がってると思うけど、「自由」ってのはとっても難しくって、逆に「いろいろ自分で考えろ」ってことが要求されるものなはず。
そんな中にいながらも・・・考える枠として「マナー」とか、「常識」「空気」なんて尺度を持ち込むのは・・・気持ちはわかりますけど・・・それこそがウザいなとボクは思うわけです。

ただ、逆に・・・もしかしたら「自由をうたいながらも、そういう枠を導入するのがインターネット」と定義することもできて、ボクがウザいと感じる方がおかしい・・・ってことも言えるかもしれません。

ネット上とか、Twitter following networkの空気を、どう読めばいいのかまったく想像できないので、「空気読め」が大勢だとすると、去るべきはボクの方かもしれない・・・とも、一方では思うわけです。

そもそもボクは「なにが起こってるか」を知るために参加しているわけで、その辺をもう少し体験したり、思考したりしつづけたいなと思っています。

netazo 雑談 , ,

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