映画三昧 その6 レイジング・ブル(1980年 マーティン・スコセッシ)
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マーティン・スコセッシのレイジング・ブルを久しぶりに見ました。
最初に見たのは高校生の時。
なんだかエンディングのような導入部が印象的で、高校生のボクはデ・ニーロのカッコよさなんかよりもその点ばかりが気になってしかたなかったのを覚えています。
「エンディングのような導入部」に対応する様に、「オープニングのような気持ちにさせてくれる最後」・・・つまり、あの新約聖書の言葉ね・・・があるわけですが、「終わり」から「始まり」の間を埋める様な映画全体にとってもグッと来るのです。
ボクにとっては、この映画はまさに「壁の向こう側とこっち側をまたぐ」ものであり、とても心を揺さぶられるわけです。例えて言えば「第3者としてみたベルリンの壁崩壊」みたいな感じ。
この前、いとうせいこうさんがブログの中で、最新作の「Shine A Light」を見た感想として・・・
ただし、スコセッシの幼稚な演出には、『ディパーテッド』以来、二度目の落胆。カメラワークと編集は抜群なのに……[引用]
それにしてもスコセッシはつまり、「勝手をやるロックスターがかっこいい!」の世代なのですね、やっぱり。
「その勝手をスタッフ全体でシステマチックに具現化するかっこよさ」は、スコセッシの中にはなさそう。すなわち、ファンク的な良さは(映画監督なのに!)。[引用]
ってなことを書いていました。
ボクとしても「ディパーテッド」の件は同意。
「Shine A Light」は見てないけど、Bob Dylanのとかダライ・ラマのとかを観た感じから・・・「なるほどー。観ないでおこう」ってことは思ったりします。
ただ・・・「その勝手をスタッフ全体でシステマチックに具現化するかっこよさ」がない・・・って意見は、ボクにはもうひとつピンとこないです。
そのかっこよさをスコセッシに求めるのは・・・「レイジング・ブル」みたいな映画を観ると・・・無理があるし、求める感情を持つ事自体が「おもしろくないこと」って気がします。
そして、「勝手をやるロックスターがかっこいい!」は世代の問題じゃないとも思います。
問題は、DylanやStonesの映画をなんでスコセッシが撮ってるかってことじゃないかなと。
「好きだから」で仕事できる人と、できない人ってのがいると思うんですよね。
スコセッシはきっと後者で・・・「TAXI DRIVER」「レイジング・ブル」「グッドフェローズ」「カジノ」みないに・・・「問題意識をベースに」仕事をしてもらいたいなって思ったりします。
ってなわけで、なんだか似非評論家モードに入ってしまいました(w
「レイジング・ブル」の話に戻りますと・・・
「間違っている時には間違いに気づかない」というのはこの映画のテーマの一つだけど・・・アメリカ人じゃないボクはそれ以外のテーマはもちろんどうでもいいわけで・・・このテーマについて激しく反応してしまいます。
「間違っているかもしれない」と自分を客観的に見れる人は結構いると思うけど、それを他人には見せませんよね。ボクもそうなんですけど(w
最近思うのは、そういうのも外に出しちゃったらどうかな?ってこと。
客観性をもって、自分で自分にフィードバックかけている時に、「オレ、正しい」と言いつづけるのは無理があるし、辛いことですからね。
というわけで、やっぱり「レイジング・ブル」はイカシた映画でした。
そうそう、デ・ニーロももちろんカッコいいけど、ジョー・ペシは本当にいい演技ですよね。
個人的に友達になりたいのどっち?と聞かれたら、ボクはジョー・ペシって答えると思います(w

