杉本博司「歴史の歴史展」
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金沢21世紀美術館で写真家・杉本博司の「歴史の歴史展」を見ました。
写真の展示も含みつつ、杉本博司の「アートの本質を追求するため」のコレクションを大きくフィーチャーした展示内容です。
実は、この展示を見て、杉本さんが言おうとしていることをちゃんと理解することはできませんでした。
すざまじい程のコレクションに杉本さんが何をみているのか・・・アートの本質を見ようとしているのだとパンフレットには書いてありますが・・・それをどう捉えているのかは、わからなかった。
僭越ながら、ボク自身がアートを考える場合は、ほとんど「時間軸」を考えることはないのです。
杉本さんの放電の写真シリーズの無時間さや・・・メッシくんの切り裂くようなドリブルからのシュートや・・・Miles Davisの想像を絶するようなフレーズが演奏される瞬間や・・・東寺の立体曼荼羅を見た瞬間に押し寄せてくるモノ・・・それらはボクの中では同じ軸の上でアートなのです。
そんなボクの素人丸出し&稚拙なアート感をブッ飛ばすような、圧倒的な迫力がこの展示にあったことを強く感じました。
その迫力がボクに「お前は鑑賞者として見ればいいんだぜ」と教えてくれたような気がします。
日常生活の中で、立場を越えて変に意見を言ったり、文句を言ったりすることってのを目にすることがありますね。
- つくる立場の人が、ユーザーの立場で話す
- ユーザーの立場の人が、つくる立場で話す
- つくる立場の人が、マーケティング担当者の立場で話す
- ・・・
などなど、「立場」の数だけ「ずれて話す」ケースがいっぱいあるわけです。
本来、「立場」を越えていいのは「想像」であって、実際には話したりしてもしょうがないはずなのですが。。。
もちろん、ボクもそういうところがあるし、ボクのまわりにもそんなことばっかり言って自分の立場でやらないといけないことをまったくやらない人もいます(つくる人のはずなのに、他のつくる人が作ったものに対してクレーマーみたいなことばっかり言ってる奴とか・・・)。
ボク自身のそういうところについては・・・自分で気づくとかなり恥ずかしいわけです。
気がつけばまだいいんですが、気づかない・・・とか、すごく後になってから気づくってことがほとんどで・・・そういう時はまさに「生き恥をさらした」気分で、お尻の穴がキューンとなりますね(w
杉本さんの展示で、そのことをすごく考えさせられました。
展示を見て最後に印象深かった点を一覧しておきます。
- 個人がこれだけ集められるってのは、みうらじゅんとは別の意味ですごい(二人の対談とかないのかな・・・ないね)
- 「放電場」シリーズはやっぱりカッコいい
- 「放電場」シリーズと一緒の部屋に展示されていた鎌倉時代の雷神像をどこでどうやって手に入れたかすごく知りたい
- 「放電場」シリーズと一緒の部屋に展示されていた、マン・レイが撮ったマルセル・デュシャンの写真の前に長時間居座ってしまって他のお客さんに迷惑だったかもしれない。ごめんなさい。
- 当麻寺で使われていた古い材木シリーズがある部屋の展示方法は抜群だった
- 明恵上人の書いた書は、現物を見られて本当に興奮した
- ニュートンの「プリンキピア」の初版本とか、杉田玄白の「解体新書」の初版本とか・・・どうやったら「手に入れる」チャンスが訪れるのかがまったく想像できなくて、ニヤニヤするしかなかった
- タイム誌の戦中のバックナンバーとかを展示すると、ジジババが興奮して大きな声で昔話をはじめて迷惑なのでやめてほしい・・・(マジで「あの頃は・・・」と話はじめるからびっくりする)
- 「Seascapes」シリーズは、見れば見るほど平和な気分になるのがまったくもって謎だ
- 「Seascapes」シリーズの部屋にあった平安時代の十一面観音像とか、もっててずるいと思う・・・貸してほしい

